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ネット激震の「邪悪」な主人公はこうして生まれた 『連ちゃんパパ』作者・ありま猛インタビュー (1/3)
『連ちゃんパパ』のモデルはあの人だった……!
今ではちょっと考えられないですよね。
ありま すでに亡くなっていますが、その当時あだち勉さんっていう漫画家がいて、その人が僕が描きたい絵柄で住所も近かったんです。
それで仕事の合間に描いた原稿を送りつけていたら、「遊びに来れば?」って言われて、真に受けて訪ねて行ったんです。
16くらいの時です。で、このあだち勉さんっていうのは、あだち充さんのお兄さんなんですよ。
――パチンコについては、当時からやっていたんでしょうか?
ありま パチンコを最初にやったのはアシスタント時代ですね。
勉さんは赤塚先生の第1チーフだったんですよ。
赤塚先生の下に勉さんがいて、僕は横の古谷班で仕事してた。だから何かにつけ「おい、行くぞ!」って勉さんに引きずり回されてたんですよ。
勉さんはフジオ・プロの四天王と言われてましたから、そりゃ断れないですよね。断ると「師匠の誘いを断るのか~?」って意地悪言われるし(笑)。
それでパチンコも教えられたというか、「やれや!」みたいな感じで始めて、だんだん依存しちゃった。
勉さんが原因だったんですか!
ありま とにかく勉さんはめちゃくちゃな人で。
『連ちゃんパパ』について「これ、作者の体験談なんじゃないか」っていう書き込みもありましたけど、正直、進のモデルは勉さんなんです(笑)。
しかし、どれだけパチンコにのめり込んでいたんですか?
ありま 70年代くらいの話ですけど、当時のパチンコは今のとは全然違って、チューリップ台がやっと出てきた時代で。
自動ではなく手打ちで、椅子がなく立って打つ台もありました。もう給料日前に全部有り金使っちゃって、仕方がないから食料を買うお金だけ人に借りて、それを持って買い物に行く途中でパチンコ屋に寄っちゃう(笑)。
『連ちゃんパパ』のまんまですよ。なにやってんだろうと思いながら打っちゃう。「やめないと」と思っていても打っちゃうから、もう開き直って「やめることをやめた!」なんて言ってました。
『連ちゃんパパ』の劇中にもそんなセリフがありましたね……。どこかのタイミングで、パチンコからは抜け出せたんですか?
ありま それがねえ、ある日打ってたら、大当たりしてジャンジャン出てきたんですよ。でもなんか無性に悲しくなっちゃって、涙がボロボロ出てきたんです。
もうどうしようかと。
とにかく「これを両替しちゃうと元に戻るから、このまま置いて帰ろう!」と思って、玉でいっぱいの箱がたくさんあるのに、そのまま置いて店を出ました。
それがやめたきっかけ。20歳ぐらいのころの話ですね。
『連ちゃんパパ』のモデルはあの人だった……!
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2006/14/news005.html
あだち充の兄貴に師事していたのか
面白い記事だったw
連ちゃんパパがパチンコ雑誌に連載された経緯に感動した
あれは編集部もグルになっての自虐ネタだったんだな
ほのぼのしてる中であの悪意修羅体験したんやろうな
今は漫画家休んでるんだな
百貨店の漫画とか面白かった
次回作が、そのあだち勉がテーマなのか面白そう
引用元: ・https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/pachi/1589521567/